森の記憶

歩けども歩けどもたどり着かない。終わりがないと思って歩いていたトロッコ道にようやく終わりが見えたのも束の間、そこはまだ中間地点でしかなく、そこからは延々と斜面が続いていた。

大学4年の終わりに、同期と屋久島へ旅に出かけた。行き先が決まった経緯をはっきりとは覚えていないが、たぶんみんななんとなく卒業旅行へ行きたくなり、たぶんみんななんとなく屋久島へ行きたくなったのだと思う。

私が屋久島になんとなく行きたくなってしまっていたのは、おそらく恩田陸の小説のせいだ。屋久島を舞台にしたミステリーには、どうしようもなく人を惹きつける森が広がっていた。中学生の時から何度も触れたその森にある種のあこがれを持っていて、観光とも、旅行の同伴者との時間でもなく、森との時間を求めて鹿児島から揺れる高速船に乗ったのだった。

こんなことを書いているのは、最後に森に入ったのはいつのことだっただろうかと、ふと思い出に心をめぐらせたからである。普通に生活していると、森なんてものに入る機会はあまりない。あるとしてもせいぜい林くらいである。別に森のことなど考えても考えなくても、人生に支障はないのだが、ここで私にとって森は非日常の象徴であって、おそらく現在研究室と自宅とを往復する毎日に少々嫌気がさしていることはおおよそ無関係ではないのかもしれない。

それはそうと、屋久島に来たからには見るべきものがある。縄文杉。樹齢何千年か何万年か知らないが、とにかくすごい杉なのである、らしい。これを見なければ始まらないだろうと、3泊4日の旅は縄文杉を中心に組み立てられた。

ところがこいつが曲者で、どうやら縄文杉を見るためには少々歩かなくてはいけないようだった。早朝のバスに乗り、トロッコ道をてくてく歩いて、山道をてくてく歩いた後にお出ましという寸法らしい。てくてく5時間、往復10時間。

まだ元気だったのか、歩き始めたころに爽快な写真を1枚だけ撮っていた。想像の中の屋久島にも劣らない素晴らしい屋久島の中を、縄文杉へ向けて歩き始めたのだった。

しかし、そこから道程の記憶がほとんどない。あまりに遠かったからである。覚えているのは、トロッコ道の終わりと、ある角度から撮ると空洞がハート型になる大きい杉くらいである。森の中の小学校跡や、色々あった何とか杉の記憶は、あまりにきついこの行程の道端に置いてきてしまった。

そうしてたどり着いたのは、移ろいやすい山の天気がぐずり始め、レンタルの登山用カッパを着ていてもどうしようもなくなってきそうな頃だった。縄文杉があった。こんなに長い道のりを歩いてきたというのに、あまり感慨はなく、そして保護のためにそれほど近寄れないせいか、残念ながら迫力にも欠けている、というのが正直な印象だった。あれほど期待したすごい杉を見たにも関わらず、ああ、とりあえず縄文杉を見たなというどこか肩透かしを食らったような気持ちでこれまで来た道を振り返った。

当然であるが、行った道は帰らなくてはならない。そして行きと違い、なんかすごい杉を目指すわけではなく、ただただ戻るのである。こんなわけで、屋久島での「楽しい」思い出は、縄文杉よりその日の夜食べたトビウオの天ぷらの方に軍配が上がった。

しかしどうも不思議なことに、どういうわけか、今、森を思いだした時のその縄文杉は圧倒的な存在感をもって、小説の中の魅力的な森と共に記憶の中心に座っている。あまり変わり映えのしない日常の中で、ふと思いを馳せる森は、あの時感じなかった確かにすごい杉を、今になって実感を渡してくる。憧れが、時を経て、どこか自分を支える一つのお守りのような、何かはわからないが意味のある記憶として変わり、確かにここにある。

思い返してみると、そういうお守りのような記憶は人生のあちこちに散らばっている。どういう形でお守りとなっているかはそれぞれ違うが、その時はそう思わなくても、いやいやどうしてそれらは自分を支えている。

生きるからには何かするべきことがある。なにかすごいこと。なんて思っても、行きつく先はそれほど面白くないかもしれない。でも、そんなに期待したりしなかったりするより、森にお守りを拾いに行っていると思えばいいんじゃないかと思えてきた。そうして、沢山のお守りをもってまた次の森へ入ればいい。

最後に森に入ったのはいつだっただろうか。

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