パンデミックがいちおう一段落したということになって、3年ぶりに欧州に行った。
欧州諸国では日本を含む東アジア地域をFar Eastと呼ぶようだが、今回訪れた北欧の国は、日本から見ればFar North、かつ、Far Westである。
そんな極北西の地に向かうには、半日あまり飛行機に幽閉されなければならない。
久々の出国手続きを経て機内に乗り込む。
各座席の背面には小さなモニターが、上位と下位の座席クラスを仕切る壁には大きなモニターがある。飛行機の中では通信ができず、したがって文字が羅列されたSNSを濁った目で眺めることもできないから、このモニターは貴重な娯楽だ。
ほんとうは座席についてすぐにでも、公開期間中に見そびれてしまった映画や、普段は見ないようなバラエティを見たいのだけれど、そうはしない。離陸前後のしばらくの間は、非常時の脱出方法を知らせるビデオ、機長からのアナウンスなどが機内に一斉に流れ、そのたびに再生が中断されてしまうからだ。
だからいつも、飛行機が上空を安定して飛ぶ頃までは、スマートフォンにダウンロードした音楽を聴きながら、仕切り壁の大きなモニターをなんとなく眺めて過ごす。
モニターには航路を線で示した地図が映される。
普段なら本州の真ん中あたりから飛び出た線は、西の大陸に向かうため左上に伸びていくのだが、今回は違った。右上へ、海の方へ伸びている。方角で言うなら北東だ。
そう、1年と少し前に大陸の大国が始めた戦争の影響で、日本の飛行機はその国の上空を飛ぶことができないのだ。通常なら12時間ほどの飛行時間は、15時間弱に膨れ上がった。
線は右上に向かって伸び続ける。大国の領空をぎりぎり避けながら、アラスカの端の端の方をなめるようにして進んでいく。
こもったにおいのする機内食を食べ、気になっていた映画を見ながらうとうとし、目を覚ますと数時間が経っていた。
前方の大きなモニターを見ると、線は左上から下りてきている。先ほどまでは右上に向かっていたはずなのに。奇妙に思ってよく眺めると、右上へと伸びていた線は、地図の右上の端まで向かうといったん途切れ、左上の端から再び現れて右下へと進んでいるのだった。
地理の授業を思い出した。メルカトル図法と正距方位図法。
機内の地図はメルカトル図法だから、上下の端の方は横に大きく引き延ばされてしまって、北極付近を通る今回の航路の場合には線がうまくつながらない。何だかとても屈折した道のりをたどっているように見えてしまう。けれども、正距方位図法の地図で見たら、アラスカを抜けて北極海を通り、グリーンランドを経て欧州へと進む航路が、ひと続きのなめらかな曲線として現れるはずだ。
そんなことを考えたり、またうとうとしたりしているうちに、飛行機は着陸態勢に入り、ドイツのフランクフルトに降り立った。飛行機を乗り継いで、目的地である北欧の都市にようやくたどり着く。
デンマークの首都・コペンハーゲンは、美しい都市であった。運河を中心につくられた街並みは色調がととのえられていて、どこから見ても隙のない、洗練された印象があった。
街が美しいだけでなく、人がみな親切だ。レストランで食事を注文すると、取り分け用の皿は必要かと訊ねてくれ(欧州の多くの人々は一人一皿ずつを食べる傾向にあるようで、他の国でそんな質問をされることは今までなかった)、閉館時間の間際に博物館を訪れると、効率の良い回り方をにこやかに教えてくれる。もちろん観光客向けの接客だからということはあるのだろうけど、これまでの海外旅行で受けてきた数々の冷たい対応(現地ではそれが当たり前なのかもしれない)を踏まえると、段違いの親切さだ。
街全体に余裕が漂っている。街並み自体には先ほど書いたように隙のない美しさがあるのだけれど、そこに緊張感はなく、ゆったりとした気品を湛えている。街の雰囲気にも人々のふるまいにも、誰しもを包み込むような余裕が感じられるのだ。
北欧諸国は豊かな国々として知られる。福祉が手厚く、老後の心配をせずに過ごせるという話をよく聞く。個々人いろいろな事情を抱えているとは思うものの、大ざっぱに言えば明日や未来を悲観する人は少ないのだろう(幸福度ランキングでも、いつも上位に並んでいる)。だから他者に対して余裕のあるふるまいができて、それが街の雰囲気にも反映しているのかもしれない。
ぼんやりとそんな思いを抱えながら異国での数日間を過ごして、日本への帰路に就いた。帰りの飛行機は大国を避けた南回りで、つまり欧州の空港を飛び立つと南東へと向かう。右下へ伸びる線を、先に希望の見えない日本社会や上向かない自らの暮らしぶりと重ねてみて、そんな陳腐で短絡的な思考をする自分に笑った。