どんなことをしている時に気分が良いか。またどのような状態下で気分が良いか。
おいしいものを食べている時は良い気分になる。お酒があると尚よい。また、良く見知った友人などと食事を共にすると、さらに良い。
吹奏楽曲を聴いているとすこし良い気分になることが多い。トロンボーンが良く聞こえると尚よい。ただし吹奏楽コンクールでの課題曲Vのようなものはあまり良い気分と相関がない。
競争に勝つと気分が良い。唐揚げが1つだけ残っていて、じゃんけんをしてそれを取り合う時、勝つと少しうれしい。このようなささいなことではなく、あまり経験がないがスポーツや出世などで価値勝ち上がるとさらに気分が良いのだろうか。
自身の所属するある集団のなかで、一定の地位が認められていると気分が良い。
自分以外の人間が自分より少し不幸だと、誰しも気分が良いか悪いかで言うと、良くなるのではないか。少なくともこれを本音で否定できるほど素晴らしい人格ではない。
気分が良い行動や状況を求め続けることを指針に生きるとき、その先にあるものは何か。
指針は単純ではない。食べすぎると健康を損なうし、競争の中で必要以上に人に嫌われる事態を招くとその集団内で公平な扱いをうけることは難しくなる。指針の副作用を考えたうえで最適点を見積もり、行動を調整する必要がある。
完全に調整された行動をとり続けた時、残るものは何か。あるいは、その行動自体にある価値は、(あらゆる価値は、それ自体について語りえず証明できないとしても)ある種の信仰とて無条件に(ただし常に疑いながら)信じる価値があると、納得できそうか。
今の人生に満足している人は、そもそも幸福についてだとか、人生の意味についてだとか考えることは少ない。逆説的には、人生の意味について論じられた過去の主張は、それ自体に人生の不満や矛盾を取り込みながら成長し、構築されたものである。
参考にすべきは、また重要なのは、今幸福に生きている(と、少なくとも私から見える)人の生きざまをしかと見る、また見に行くことなのではないか。
何かが足りないと常に感じながら、最近いきなりステーキによく行っていたら、肉マイレージカードなるものがゴールドカードになった。
よく分からないが、少し気分がいい。