幻想の上高地

 上高地に行きたい。ただ、残念なことに旅行の類は行く前に感情の頂点が来てしまう。もちろん後から思い出すと旅程の後半も十分思い出に満ちているのだが、こと期待感という点では旅行を控えている状態が一番良い。  

 であれば、上高地には行けない。一度行ってしまえばそこは未踏の地ではなくなってしまう。憧れを頂いたまま、どのようにして上高地に接近すればよいのか。

 そうなれば、上高地にトリップするしかない。精神を、飛ばす。お金もかからず素晴らしいことこの上ない。全く何も調べていないので、これまでに聞きかじった心もとない分量の若干確かな記憶と、多量の憶測をもとに旅を始めようと思う。

 かっぱ橋。上高地に紐づく固有名詞として私が知っているものはこの橋の名前だけである。しかし見たことのある写真には、このかっぱ橋と清流、青々とした木々がバッチリ収まっていた。おそらく上高地に行くものは皆この橋を訪れるという類のものであろう。京都に清水、浅草に雷門、上高地にかっぱ橋である。このかっぱ橋の上に立ち、「おおなんと、これが上高地か」と実感できればいい。

 ところで、1泊の旅行というのは少し寂しい。1日目は行きで、2日目は帰り。それだけで終わってしまう。もちろん十分楽しいのだが、やはり2泊以上することで、「わはは、今日は旅先で1日過ごせるぞ」の高揚感を携えたい。気持ちとして5連泊の意気込みで臨む。

 当日は朝が早かった。翌日が楽しみで寝られないというのは贅沢な悩みであるし、辛くて寝られない日曜の夜よりもよっぽど幸福であるが、年甲斐もなく朝まで寝られなかった。多少の眠さを感じながら品川から新幹線に乗り、名古屋で降りたあと、バスに乗った。夏休みシーズンだからか、直通の観光バスが出ていたため非常に便利である。どんな種類の旅行にも、目的地に行くには必要な手順というものがある。

 上高地へは自家用車の乗り入れこそできないものの、この時期は一番混むのか、春休みの御殿場アウトレットもかくやといった様相であった。皆、上高地がなければ生きて行けない人たちなのだろう。深くうなずける。まだ歩けない子供から、杖をつく老人まで、バス停から坂道を登っている。その表情の真剣さたるや、もし人生に普遍的な意味があるとすれば、それは上高地で発見できるのではないか。もう一度ふかく頷く。  

 ここからいわゆる観光の中心地へは15分ほどの距離があるらしい。急勾配ではあったが、不思議と疲れなかった。

 坂を登りきった後、探し求めた上高地がそこにあった。中央を流れる川は、透明には色がついていることを世界に主張していた。青々とした木々は一体となって、ゆとり世代の私にもよくわかるように丁寧に人間の小ささを相対評価していた。そして何より、そこには光と風があるべき姿で存在していた。

 さて、かっぱ橋はどこか。見渡す限り、川の向こう側へ行ける手段はない。少し遠くまで探しに行かなくてはならないと思い、その日は休むことにした。

 次の日、遠くまで散策に出たが、かっぱ橋は見つからなかった。数人に「かっぱ橋はどこか」と聞いても、「そんな橋は知らない」と言われるばかりであった。結局、2日目ではあるが、私は帰ることにした。もちろん橋はなかったが、想像通りの理想の上高地の観賞を果たしたわけだから、それ以上とどまる理由がなかった。

 数年後、何故か「かっぱ橋を渡らなければならない」という切迫感に襲われた。私は旅行というよりも、むしろ仕事のような現実感を持って、実際に肉体を伴って上高地を訪れた。

 かっぱ橋はあっけないほど当然のように、向こう岸とこちらを繋いでいた。山も川も綺麗ではあったが、なにかを訴えてくることも、こちらを覗き込むこともなく、最寄りのコンビニのような平凡さで佇んでいた。

 人は少なかった。橋の上に立ち、「ああそうか、これが上高地か」と実感した。いかなる種類の意味をも求めるべくもなかったが、私の体は上高地に存在していた。いくつかの骨のあるハイキングコースを周り、汗をかいた。これ以上とどまる理由はない気がしたが、結局5日間滞在した。上高地に行ってきた、と思いながら帰った。        

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