土曜日の冷凍食品1

 とある食品メーカーが設置している冷凍食品の自販機をご存知だろうか。飲料自販機よろしく小銭を入れてボタンを押すと、商品を解凍して、あっつあつの状態で取出口にガコンと落としてくれる、あれである。ちょっと寂れたサービスエリアの、自販機が所狭しと乱立しているあの空間の、大抵いちばん端っこに設置されている、あれである。

 あれが、近いうちに姿を消すという。というより、既に自販機の製造は終了しているそうだ。現在は保有機をメンテナンスして提供しているが、数年前に部品の保有期限も切れてしまったとかで、今後故障機は順次撤去するらしい。中に入れる食品類も当然供給数が下がるが、一定数以下の小ロット製造は却ってコストがかかるため、採算が取れない商品から終売し、いずれ自販機ごと姿を消すらしい。既にいくつかのメニューは終売している。

 その終売メニューの中に、「直火焼炒飯」がある。いまのわたしの血肉をつくりあげた栄養のうち、数%を占めているであろう、マイソウルフードである。

 初夏になるとなぜかアオスジアゲハばかりが通学路に舞うような、ぼちぼちの自然に囲まれた私立中高一貫校が、わたしの母校であった。校歴はぼちぼち浅く、校舎はぼちぼち新しかった。ついでに言うと、校歌もぼちぼち新しく、遠くのほうでJ-popの香りがする曲調がむしろちょいダサだった。

 私立らしく図書室や部室といった設備はある程度整っていたが、わたしが足繁く通ったのは食堂であった。とはいえ、平日の昼食に食堂を使えるのは高校生のみで、中学生は弁当持参が定められていた。昼休みの開始とともに食堂に殺到する成長期食欲モンスターたる高校生たちのフィジカルに、中学生はなにをしても敵わないため、学校が講じた危険の排除であった。そのため弁当を忘れた場合は朝のうちに担任に申し入れ、特別に食堂の弁当を回してもらって買い取る、という謎ルールがあった。

 しかし禁じられると膨れ上がる好奇心。わたしが食べたいのは担任の手により確保された弁当ではなく、自ら食堂に赴いて、自らの手で得た唯一の昼食であった。それは人だかりをかき分けて惣菜パンの山から掴み取った焼きそばパンであり、たったひとつで1500キロカロリーを摂取できるチョコチップメロンパンであった。

 

 そして入学して約半年、土曜日だけは、中学生も昼休みの食堂利用が許されることとなった。父兄の要望だったのか、校内の権力者の一声なのか、事情はよくわからないが、午前で授業が終わる土曜日は、部活が始まるまでの時間がすべて昼休みだったこともあり、利用者数が分散されることが理由だったように思う。

 嬉々として食堂に赴いたわたしは、購買窓口に殺到する高校生――先輩方を見て意気消沈した。そのころ、わたしの身体はほぼ出来上がっていたが、メンタルは小学生のまま、大負けしていた。邪魔な場所で立ち尽くすわたしの横ざまを、運動部と思しき先輩が腰を落として勢いよく人だかりに突入していく。購買のおばちゃんが声も枯れよと叫んでいた。「今チョコチップメロンパンのお金投げたの誰?!おつりあるよ!!」「俺です!」「アタシです!」「どっちなの!!!」

 わたしにはまだ早かった。の一言に尽きた。しかし食堂で食べるから弁当はいらぬと母親に豪語し、さらにお小遣いまで貰ってしまった手前、なんとかしてこの食堂で、昼食を調達せねばならなかった。

 回れ右をしてとぼとぼと食堂の端っこを歩いていると、制服を程よく着崩した見知らぬ先輩方が、カップのカルピスらしきものを手に歩いてくるのが見えた。なるほど、カップ飲料の自販機があるのか。遠く前方には曇りガラスの扉があり、どうやら外に出られるようだった。食べ物はさておき、飲み物だけでも先に買ってしまおう。わたしは混み合う食堂を蛇のようににゅるりと渡り、重たいガラス扉を押し開けた。

 夏のおわりと秋のはじまりのはざま、運動部の部室棟と隣接した屋外の自販機スペースは、肌をじりつかせる熱気がむんと溜まっていた。連立する自販機に近づくと、排熱でさらに暑い。制服の襟元をつまんでパタパタと風を送りながら品定めをしていると、ひとつ異様な自販機があった。

 

 それこそが、ニチレイフーズが提供する冷凍食品自動販売機、「24hr.HOT MENU」であった。

 

 機体は、あっつあつに温められているであろうメニュー写真がデンとプリントされた前面に、見慣れぬ電光板が備え付けられていた。解凍までの時間をカウントダウンする計器である。

 わたしは歓喜し、チャリンチャリンと小銭を投入して、一番内容量が多い(230g)「直火焼炒飯」のボタンを押した。腹ペコであった。電光板に赤い数字が浮かび上がる。「135」。135秒で解凍が終わるらしい。ブウゥン…と重く鈍い音を立てて稼働する自販機を前に、わくわくと胸を膨らます。全身がじっとりと汗ばんでいたが、これから熱々の炒飯が食べられるのだから、そんなことはどうでもよかった。

残り8秒あたりで、ガコンと取り出し口に紙の箱が落ちてきた。盛大に傾いている。7・6・5・4・3・2・1と数えたところで、「できあがりました!商品をお取りください。またどうぞ!」と機械音声が流れて、カチリと取り出し口のロックが外れた。片手を突っ込んで箱をがしりと掴む。めちゃくちゃ熱くて容赦なく火傷した。大きさは15センチ四方といったところか。箱の四隅を両手の指の腹で支えて、財布の上まで移す。これなら、財布を支えれば持ち運べる。るんるんで食堂に戻り、空いている席に座ってミシン目に沿って箱を開ける。プラトレーのフィルムを剥がすと、ほわあ〜んと湯気が立ち上り、芳しい香りが漂った。箱の中で一緒に熱々になっているプラのスプーンを取り出し、包装のビニールを破る。ビニールが一気に収縮してスプーンから剥がれなくなったが、食べる丸いところだけピリピリとこそいで、ざっくりと炒飯に突き立て、掬い上げ、口に入れた。

 それからわたしは、「直火焼炒飯」の虜となった。毎週土曜日は、雨の日も風の日も雪の日も自販機の前で解凍を待っていた。たまに「焼豚おにぎり&からあげ」に浮気したが、私の心は「直火焼炒飯」と共にあった。やがてリプトンのレモンティーがそこに加わり、紙パックにストローを挿して一緒に流し込んだ。いつしかできた後輩が、先輩がいつも食べてるので気になって、と「直火焼炒飯」を頬張っているのを見たときは、レモンティーと合うから試してみな、と通ぶった常連のようなことも言った。

 解凍を待ちながら眺める景色は、季節と共に移り変わった。部室に入りきらないからと外で着替えさせられていた下っ端の野球部員は、入部したばかりの新入生に「外で着替えろ!」と偉そうに指示を出すようになっていた。大掃除でもしたのだろうか、どこかの部室から引きずり出されて軒下に積み上げられた大量の荷物に紛れていたいちご100%の5巻が、持ち主不明のまま連日の台風でひどい有様になっていた。学校裏の公園で紅葉を迎えた銀杏が実を落とし、ランニングに出た陸上部が踏んづけて、強烈な香りと一緒に帰ってきた。カラフルなカタログを抱えた女子テニス部が、来年度のユニフォームどうする?スコートは白がいいかな?こんな寒いとスコートとか無理だよね、と白い息を吐きながら通り過ぎていった。

 あの頃、手元にあったのは、ページを更新するたびにパケット通信料が発生するガラケーだけだった。今のようにスマホがあったなら、きっと景色ではなく画面を眺めていただろう。

 春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て、いくつも過ぎ去っていった。高校生になり、平日も食堂の利用が許されるようになったが、私は相変わらず、土曜日に「直火焼炒飯」を食べることを毎週の楽しみとしていた。その頃には、ごめん!わたしのお昼も一緒に買ってきて!とお金を渡せば、何も言わずとも「直火焼炒飯」とリプトンのレモンティーが手渡されるようになっていた。

 やがて、わたしは高校3年生となった。待ち受ける受験と卒業。これから実施される行事は、運動会も文化祭も何もかも、全てが最後。一抹の寂しさと不安が漂う春の訪れ――時期を同じくして発表されたのは、食堂の取り壊しであった。

(続)

(注:土曜日の冷凍食品2はこちら)

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