森の記憶

 午前4時に出発したのに、まだたどり着かない。トロッコ道にようやく終わりが見えたと思ったのもも束の間、そこはまだ中間地点でしかなく、そこからは延々と上り坂が続いていた。

 大学4年の終わりに屋久島へ旅に出かけた。行き先が決まった経緯をはっきりとは覚えていないが、とにかく皆屋久島へ行きたがっていた。
 私が屋久島に行きたかったのは、おそらく恩田陸の小説のせいだ。屋久島を舞台にしたミステリーは、内容の詳細はわすれてしまったが、文章から森へと誘う匂いがした。昔から何度も触れた森との時間を求めて、はるばる飛行機に乗り、そして高速船に乗ったのだった。最後に森に入ったのはいつのことだっただろうか。

 屋久島に来たからには見るべきものがあった。縄文杉。これを見なければ始まらないだろうと、3泊4日の旅は縄文杉を中心に組み立てられた。しかしやはり縄文杉。それを見るためには少々歩かなくてはいけないようだった。早起きしてバスに乗り、トロッコ道を少し歩いて、山道を少し歩いた後にようやくみられるらしい。少しだけだと思っていた山道は、往復10時間かかった。

 まだ元気だったのか、歩き始めたころに写真を1枚だけ撮っていた。
 ここからの記憶がほとんどない。あまりに遠かった。

 たどり着いたのは、雨が降りはじめてレンタルの登山用カッパを着ていてもどうしようもなくなってきそうな頃だった。それほど近寄れないせいか、迫力に欠けているというのが正直な印象だった。どこか肩透かしを食らったような気持ちでこれまで来た道を振り返った。
 当然であるが、行った道は帰らなくてはならない。ただただ戻った。

 しかし今、旅行を思いだした時のその縄文杉は圧倒的な存在感をもって記憶の中心に座っている。あまり変わり映えのしない日常の中で、森、杉が今になって実感を渡してくる。ありがとう屋久島、縄文杉、10時間。

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