私は「話が長い」とか「言いたい事が分からない」とか言われることが稀によくある。心中で「お前がア◯なだけやろ」などと不遜な呟きを呈していたものだが、漸くこの現象についてある事を自覚した。
「本当に話が長くて要領を得ない。」
多くの人々は、他人に何かを伝える際、「相手の視点」で「相手の前提知識」や「相手がどう受け取るか」を想像して、内容を整理してから伝えている。私の話にはそれが無い。
この背景には、人生の約半分において会話とレスバトルを混同して生きてきた、という悲惨な事実が存在する。が、そんなのは今更どうでも良い。
何はともあれ、自分が他の日本語話者に比して「日本語を一通り喋れるだけの外国語話者(※ただし外国語は喋れない)」であるかのような感覚が、突如として出現し、私の自我を傷つけ、日常の悉くに小さく、しかし確かな絶望をもたらした。
その欠片を2個、3個…と積み重ね続けながら、或いは見つける都度向き合い解消しながら私は生きてゆくのだろうが、とりあえず日本人には成りたい。そんな取り留めの無いことを考えながら、「きっと明日以降の俺がどうにかしてくれる」と今日も酒で欠片を意識の隅へと流し、束の間の安息に身を委ねるのであった。
(完)