(注:土曜日の冷凍食品1はこちら)
浅い歴史も、入学した中学1年生が卒業するころには、6年分積み上がる。わたしの卒業と同時に、母校は創立云十年のメモリアルイヤーを迎えることとなっていた。それと併せて校舎は大きく改修されることとなり、各所で工事が始まった。食堂の一帯は立ち入り禁止。照明が落とされ薄暗く、これまでの活気が幻のようだった。
春が終わって、わたしは文字通り心血を注いだ部活を引退した。ぎらつく日差しと夏期講習がじりじりと精神を灼きつくす。冷房が効いた自習室には、シャーペンを走らせる音と紙を捲る音が神経質に響いていた。
夏が終わって、他の学年が研修旅行に出かけると、不気味な静けさが校舎を包んだ。職員室前の棚に置いてある赤本が軒並み貸出し中になり、長期間独占して借りて続けている犯人探しが加熱する。
秋が終わって、推薦入試で一足先の合格に沸いた同級生がTwitter(当時)にアップしたお祝いの写真にビールが映り込んでいて、学内で大炎上した。
冬が終わって、春がきた。卒業式を控えて久しぶりに登校すると、食堂がカフェテリアと名前を変えて、かつての賑わいを取り戻していた。校舎から遠ざかっていたのはたった数ヶ月だったが、胸に色濃いノスタルジーを抱えながら、カフェテリアの扉を開いた。
間口が狭く、文字通り人が殺到していた購買は姿を消し、簡易的なコンビニになっていた。中央に大きな厨房を設けたカフェテリアは、日替わり定食2種、麺、丼の4メニューを毎日提供する大型施設で、下手なフードコートよりも広く、なぜもっと早く改修工事をしてくれなかったんだ、こちとら来週には卒業だぞと憤りさえ感じる仕上がりだった。
外へ出られる曇ったガラスの扉は、相変わらずそこにあった。卒業する前にマイソウルフード、「直火焼炒飯」を食べ納めておかねばならない。わたしはカフェテリアのメニューボードに書かれた「特製坦々麺 630円」に強く後ろ髪を引かれながらも、両手で重たいガラス扉を押し開けた。
屋外の自販機スペースは、そこにはなかった。目の前には部室棟が並んでいる。自販機スペースを取り潰し、食堂の建物自体を拡張した結果完成したのが、あの厨房だったのだ。わたしは愕然と立ち尽くした。わたしが愛した「直火焼炒飯」は――、冷凍食品自動販売機、「24hr.HOT MENU」ごと、姿を消していた。
それからはあっという間だった。卒業式で、学び舎にも、恩師にも、級友にも、後輩にも別れを告げた。寂しいねと言葉を交わして。けれど本当の別れとは唐突に、なんの前触れもなく訪れて、そこには喪失しか残らない。直火焼炒飯に別れを告げることはできず、底知れぬ喪失感とともに、わたしは6年間通った学び舎を去った。
月日は流れた。わたしは卒業を間近に控えた大学4年生になっていた。就活を終え、単位をすべて取得し、卒論を提出し、残るは人生最後のビッグモラトリアム、春休みのはずだった。浮かれて卒業旅行の予定を立てながら、そういえば入社書類があったなと思い出し、半年近く前に内定先から郵送で受け取った封筒を開封すると、運転免許が必須取得資格として列挙されていた。わたしは青ざめ、泣きながら卒業旅行をキャンセルし、その費用を教習所に払い込んだ。連日通った。大学と同じくらい通った。
教習所とは性質上、それなりの敷地面積を要するため、大抵の場合交通の便の悪い、陸の孤島に設けられていることが多い。例に漏れず、わたしの通った教習所も市街地から離れた雑木林を切り拓いて建設されたもので、送迎バス以外に通学手段がなかった。一日中教習の予約を入れると必然的に教習所の中で昼食を取ることになるが、ある日、わたしはすっかりそれを忘れて、手ぶらのまま午前の学科を終えた。腹が減ってはなんとやら、近くにコンビニはありませんか?と受付のおばさまに声をかけると、いちばん近いセブンイレブンが5キロ先にあるという。
「5キロ(笑)」
「平日ならねぇ、行きは送迎バス乗ってってコンビニで降ろしてもらって、戻ってくるときだけ歩くとかもできるんだけど。今日は土曜日で利用者が多いから、バスも融通利かせられないのよねえ。行きも帰りも歩きだと、午後の教習間に合わないからねえ」
「わかりました。ご丁寧にありがとうございます」
深々とお辞儀をする。昼食抜きの深い悲しみ。重い足取りで待合室へ戻ろうとした、そのとき。
ガコン――
廊下の奥から、何かが落ちる音がした。知っている音だった。でもなんの音だっただろう。続いて、くぐもった機械音声が、数字を読み上げる。5・4・3・2・1。
「できあがりました!商品をお取りください。またどうぞ!」
わたしは即座に踵を返した。廊下の奥のつきあたりで、何かを熱そうに抱えたおじさんとすれ違う。期待は確信に変わりつつあった。右に曲がってさらに廊下を進んだところに、いくつかの自販機とベンチが並んでいた。立ち尽くすわたしの目の前には、冷凍食品自動販売機、「24hr.HOT MENU」が、あの懐かしい姿そのままに、鎮座していた。
それが、空腹という砂漠に現れたオアシスだったからなのか、中高時代を象徴するノスタルジー遺産だったからなのか、それはよくわからなかったが、わたしは自然と涙ぐんでいた。小銭を投入してボタンを押す。ブウゥン…と重く鈍い音を立てて稼働する自販機を前に、あの頃と同じようにわくわくと胸を膨らます。ここには野球部の上下関係も、いちご100%も、銀杏の強烈な匂いも、女子テニス部の探り合いもない。代わりに、ポケットの中にスマホがある。大学入学とともに手に入れた、漫画も読めるし音楽も聴けるしTwitterもできる、無限に時間を潰せる万能の機械。でも今は、1秒ずつ解凍時間を刻む電光掲示板から目が離せない。ガコン。箱が落ちる。機械音声が出来上がりを告げて、カチリ、と取り出し口のロックが外れる。
4年前、別れを告げることもできなかった「直火焼炒飯」が、目の前であっつあつになっていた。ニットの袖をモゾモゾと伸ばして、その上から箱を抱える。容赦なく熱い。嬉しい。
いそいそとベンチに座り、逸る気持ちを抑えて紙箱をベリリと開ける。ほわんと湯気を立てて、芳しい香りが顔面を包んだ。一口食べて、あの頃と変わらぬ味わいに、あの頃の購買のざわめきが鮮やかに呼び起こされる。ノスタルジーが、脳内を満たす。一口一口が、再会の喜びに震えるようだった。あっという間に平らげて、空になった紙箱を閉じる。ごちそうさまなのか、ありがとうなのか、さようならなのか、どれが適しているのか、もうわからなかった。
それから数年が経った。わたしは無事運転免許を取得したのち、内定していた会社に入社し、会社員として有意義なのか無意味なのかよくわからない日々を過ごしている。
故障機は順次撤去する、と発表されていた「24hr.HOT MENU」は、2021年秋に完全撤去が完了し、この世から姿を消した。わたしが愛した「直火焼炒飯」とは、こんどこそ今生の別れとなった。あのとき目の前の空箱にかけるべきだったのは、さようならの言葉だったのかもしれない。
小学生のとき帰り道に焼き芋を分けてくれた駄菓子屋も、中高時代に参考書を買った本屋も、大学生らしく酒の飲み方を学んだ料理屋も、もうない。人生を、たかだか三十年ほどしか過ごしていない。それでも、別れに立ち会えず永遠に失ったものが増えてきた。これからの人生、別れと出会い、失うものと得るもの、どちらが多くなるのだろう。会社と自宅の往復の日々では、新しく得るよりも、過去の遺産をキリキリと消費するほうが多い気がする。それが底をついた時、人生は色褪せるばかりになるのだと思う。なくなった絵の具チューブを水で溶いても二度と鮮やかに発色しないのに、最近は絵の具を補充するのではなく、なんの水で溶くかばかり気にしている。
残暑の厳しい陽光が目を灼く。季節が巡り、毎日が巡り、また、土曜日がやってくる。
終
[…] (注:土曜日の冷凍食品2はこちら) […]
素晴らしい文章です!
二年間待ち続けた甲斐がありました!
次回作が楽しみです。