春菊がうまい

 望まずとも来る夏の気配を感じつつ桜も散った春の名残の週末に、地域に根差した激安スーパーに足を延ばした。たまには生活圏を拡げないと職場と家の往復で人生が終わってしまう。春は気づいたときには終わっていることが多いが、なるほどここにはまだ春が並んでいる。みょうが、春菊、タラの芽。春人参なるものもある。コンビニの商品棚であれば季節を感じるまでに高度な鍛錬が必要であろうが、流石はスーパー。日々感性を磨き、遂には庇の外の雨音から初夏への距離を測れるようにならずとも、初心者でも簡単に春を手に取ることができる。

 少し高いが望んで買った春菊を手に、帰り道の交差点に差し掛かる。スーパーへの往復で通り過ぎるその交差点には、フランス料理惣菜店があるらしい。というのも、佇んでいるのはよくよく承知しているものの、以前口コミを見た際に「デパ地下の惣菜とは段違いです」「フランスのxxx(何かおしゃれでグルメそうな日々がする単語だった)に来たようです」等の日々優雅な暮らしを楽しむ皆々様が色彩豊かな評判がつけており、ああここは私にとって遊園地やRPGでよくある立派な外見をしているけれども立ち入れない類のオブジェクトであって、きっと私の人生にこのようなものを無理やり紛れ込ませてしまうとゆくゆく破滅することになるに違いないなどの妄想に駆られ、入るだけ入ってみればよいものを勝手に腰がひけてしまったのであった。今では横目に通り過ぎながら利用客の金回りの良さを推測するなど非常にせせこましい空想に浸るのみのスポットである。デパ地下の惣菜ですら霞むとのフランス料理惣菜店には、あるいは目がくらみ頭から土筆が生えてくるような春が並んでいるかもしれないというのに、いささか勿体ない話ではあるが手にはちゃんと春菊があるので欲目は出さずに信号を渡る。

 帰った後、湯を沸かす。冷蔵庫に入れた春菊を出す。茹でて切って水気をとり、醤油と砂糖と胡麻を加え、和える。初心者にも簡単に作れる春の副菜。味見をしながらふと思う。望んで買った春菊も、望まずとも来そうな夏も、認識はしているが望まなかったフランス惣菜も、いま私は知覚できているが、考えもせず望みすらしない空白についてはまだ知らない。たまには探して望んで人生を拡げないと毎日の暮らしで人生が終わってしまう。まず惣菜店に入って、近くのカレー屋を検索して、あとコーヒーメーカーでも買おうか。

 それにしても春菊がうまい。やっぱりこのままでも良いかもしれない。行動の拡散、刈り取り、定常化。くるくると季節がまわる度に、手に取って春を食べられる。今は春を往復できることのありがたさに対して前向きに、きっと静かに祈ったほうが良い。

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